2015年01月14日
師と弟子
「人より3年修行が遅れても、3年かけても良い師を探せ」 という言葉があります。 普通はなかなか そうはいきません。 家や職場の近くであるから、練習日の都合がいいから、といった理由で道場や教室を選ぶ方が多いと思います。
私が中国武術を始めたのは40年近く前の話です。私の住む地方都市には中国武術はおろか空手道場もないような頃でした。大学が東京だったので、入学すると早速都内の道場をいくつか見て回りました。と言っても、当時は見る目もなく、また今ほど情報もない時代です。今となっては理由も覚えていませんが、板橋のある道場に入門しました。そこで、教えていただいた師範が良い師匠であったために、長きにわたり太極拳を続けることになりました。その先生は、そこの道場主の弟子でもありましたが、別の大先生から別の太極拳を習っていました。
先生が若いころ、太極拳の使い手がいると話を聞いて、ある中華料理店を訪ねたそうです。その方は台湾人でした。もちろん当時日本人に太極拳を教えるなどとんでもないという事で、断られたそうです。先生は礼を尽くしてお願いし、入門を許されたのですが、その時に入門時のあいさつとして、正座をして両腕を床についてお辞儀をするよう言われたそうです。そこは、普通の部屋ではなく、水と油で汚れた中華料理店の厨房でした。躊躇している先生に、大先生は 「日本人は台湾人には頭を下げられないか」 と言ったそうです。無論、先生が気にしていたのは床の状態だったのですが。
先生は謝礼の面でもかなり苦労したとのことで、武術を習うのに家一軒分ほどの金額がかかったといっていました。台湾の食鶴拳の宗家の先生も、中国から迎えた先生の為に土地家を用意して、今でいえば、数億相当の謝礼をしたとのことです。武術は特別な人たちの特殊技能であった時代ですね。もちろん、当時でも純粋に人間的なつながりから技が伝承されてきた事もあったようです。どちらにしても、師と弟子のつながりというのは、偶然や自分の意志だけではないような気がすることがあります。
太極拳はもともとかなり理論的な武術であるように思います。私の習った先生は特に理論や体の道理を重んじた教え方をしてくれました。腰の位置はここまで。なぜならば・・・。手の形はこうして、この指はこう、この指はこう、なぜならばこうして使うから。といった具合で理論と実践・実戦の関係を具体的・理論的に教えてくれたものです。理屈通りに体が使えれば、技として実用できて、実用できないのは理屈道理ではないから、と非常にはっきりした教えでした。また、今、他流派の人の話を聞いて思うのは、師が弟子の体を触って動かしてくれる事のありがたさ、弟子が師の体を触らせてもらえる事のありがたさです。才能ある人は見て分かるかもしれませんが、凡庸な人間にとっては太極拳の身体運用は見て聞いただけでは理解が難しいものです。
私が太極拳を教え始めたのは、先生が教えるように、と言ったためです。『教えるとうまくなる』というので不本意ながら教え始めたのでした。確かに教え始めると、生徒に教えながらも、一番自分の練習になっている事に気が付きました。人に教えることで技が正確にシビアなものになってきました。そして、そのうちに、今まで出来なかった事が出来るようになってきました。初心者の頃はぎくしゃくしていた動きが、滑らかに動けるようになり、そのうちに消えるように動けるようになってきました。お弟子さんの技量が上がっていくのを見ていると、「おーっ」と驚くこともあります。そうした時にそのお弟子さんに「どうやって練習していますか」と聞いてみました。 そのお弟子さんは「言われた通りのことをしているだけです」という返事に苦笑いしたこともあります。
あまり師に好かれなかったために多くが習えず、気の遠くなるほど一つの技を繰り返し驚くような質的変化を成し遂げた人もいましたね。それはそれで、突き放した師がいたから大成した、ともいえましょう。天の導きがあり、本当に必要なときには必要な出会いがある、という話も聞きます。無論、それは普段からやるべき宿題をきちんとこなしている人に限っての事でしょう。
最後に。師と弟子と言えば分野は違いますが、宗方仁と岡ひろみがベストでありましょうか。
私が中国武術を始めたのは40年近く前の話です。私の住む地方都市には中国武術はおろか空手道場もないような頃でした。大学が東京だったので、入学すると早速都内の道場をいくつか見て回りました。と言っても、当時は見る目もなく、また今ほど情報もない時代です。今となっては理由も覚えていませんが、板橋のある道場に入門しました。そこで、教えていただいた師範が良い師匠であったために、長きにわたり太極拳を続けることになりました。その先生は、そこの道場主の弟子でもありましたが、別の大先生から別の太極拳を習っていました。
先生が若いころ、太極拳の使い手がいると話を聞いて、ある中華料理店を訪ねたそうです。その方は台湾人でした。もちろん当時日本人に太極拳を教えるなどとんでもないという事で、断られたそうです。先生は礼を尽くしてお願いし、入門を許されたのですが、その時に入門時のあいさつとして、正座をして両腕を床についてお辞儀をするよう言われたそうです。そこは、普通の部屋ではなく、水と油で汚れた中華料理店の厨房でした。躊躇している先生に、大先生は 「日本人は台湾人には頭を下げられないか」 と言ったそうです。無論、先生が気にしていたのは床の状態だったのですが。
先生は謝礼の面でもかなり苦労したとのことで、武術を習うのに家一軒分ほどの金額がかかったといっていました。台湾の食鶴拳の宗家の先生も、中国から迎えた先生の為に土地家を用意して、今でいえば、数億相当の謝礼をしたとのことです。武術は特別な人たちの特殊技能であった時代ですね。もちろん、当時でも純粋に人間的なつながりから技が伝承されてきた事もあったようです。どちらにしても、師と弟子のつながりというのは、偶然や自分の意志だけではないような気がすることがあります。
太極拳はもともとかなり理論的な武術であるように思います。私の習った先生は特に理論や体の道理を重んじた教え方をしてくれました。腰の位置はここまで。なぜならば・・・。手の形はこうして、この指はこう、この指はこう、なぜならばこうして使うから。といった具合で理論と実践・実戦の関係を具体的・理論的に教えてくれたものです。理屈通りに体が使えれば、技として実用できて、実用できないのは理屈道理ではないから、と非常にはっきりした教えでした。また、今、他流派の人の話を聞いて思うのは、師が弟子の体を触って動かしてくれる事のありがたさ、弟子が師の体を触らせてもらえる事のありがたさです。才能ある人は見て分かるかもしれませんが、凡庸な人間にとっては太極拳の身体運用は見て聞いただけでは理解が難しいものです。
私が太極拳を教え始めたのは、先生が教えるように、と言ったためです。『教えるとうまくなる』というので不本意ながら教え始めたのでした。確かに教え始めると、生徒に教えながらも、一番自分の練習になっている事に気が付きました。人に教えることで技が正確にシビアなものになってきました。そして、そのうちに、今まで出来なかった事が出来るようになってきました。初心者の頃はぎくしゃくしていた動きが、滑らかに動けるようになり、そのうちに消えるように動けるようになってきました。お弟子さんの技量が上がっていくのを見ていると、「おーっ」と驚くこともあります。そうした時にそのお弟子さんに「どうやって練習していますか」と聞いてみました。 そのお弟子さんは「言われた通りのことをしているだけです」という返事に苦笑いしたこともあります。
あまり師に好かれなかったために多くが習えず、気の遠くなるほど一つの技を繰り返し驚くような質的変化を成し遂げた人もいましたね。それはそれで、突き放した師がいたから大成した、ともいえましょう。天の導きがあり、本当に必要なときには必要な出会いがある、という話も聞きます。無論、それは普段からやるべき宿題をきちんとこなしている人に限っての事でしょう。
最後に。師と弟子と言えば分野は違いますが、宗方仁と岡ひろみがベストでありましょうか。
Posted by 渡辺克敬(わたなべ かつゆき) at 00:28│Comments(0)
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