2014年12月10日
意・心・気・力・体
太極拳の稽古の要領として、「用意不用力」というものがあります。太極拳では手足・身体を動かすのに、力を使わず意・意念を使います。力を使わずにどうやって身体を動かす!? 意念、とは何だ、という人もいるかと思います。もっともな疑問です。
例えば手を上に挙げる動作1つ取っても、太極拳では非常に細かい教えがあります。手首に紐がついていて上から引っ張られる、とか。親指はこのように、足は膝を持ち上げるように、等など・・・。身体の動き全般にしても、「水の中にいて、水の抵抗を感じながら動くように」「手足身体に紐がついていて、自分の力でなく、上の方の人に操られるように」などなど。
身体を動かすことについて、今まで使っていた日常生活の動きをそのまま使わせないのが太極拳です。
そこでまったく新しい動きのシステムを創るために、太極拳の型を通して今までとは違う身体の動きを学ぶわけです。その過程で幾つもの教えが出てきます。それらをきちっと目的意識を持って行なう事が意念ともいえます。また、ある種のイメージを持って~例えば水の中で太極拳を行っているなど~行なうというのも、意念です。
では、なぜそんな事をするのでしょうか。武術が形作られる過程で、様々な体の使い方・訓練の仕方が、幾つもの試行錯誤や実戦を通じて発見されてきました。太極拳では身体をリラックスさせて、「気」を運用することで打撃の威力や移動の速度を上げる、という方法が採られました。~太極拳でいう「気」は身体の内部に生じる力の流れと考えてください。~しかし、「気」を動かす、といっても簡単に思うように出来るものではありません。
そこで、あのゆっくりと動く型が生まれてきたのです。気を動かすためには身体をリラックスさせる必要があります。無形の気ではあっても、それを動かすには、それなりの身体の状態がよりどころになるのです。身体は気の入る容器であり、気の通る通路の役目を果たします。それに相応しいからだの状態が求められます。
身体の状態が整っても、直接気を動かすのは大変です。しかし、心と気は密接に結びついています。
心・気持ち・情動といったものです。心が動くと気は動きます。嬉しいことがあれば、身体は軽やかになり気が全身にみなぎり元気良く巡ります。反対に嫌なこと恐ろしい事があれば、気は滞り病気にすらなります。恐怖に足がすくんで動けないのは、負の感情が足の気を虚の状態にした為に力が出せないからです。
最近では笑いが免疫力を高めるといわれており、心・情動と健康との繋がりも具体的に示されてきました。
このように心が動けば気が動きます。では、心はどう動かせばいいのでしょうか? 太極拳では、心を動かすのは「意・意念」であるといわれています。自分が水の中で動いているように、と本気で思いつつ練習をすると、水の中にいるような気持ちになり、身体がそのように反応してきます。つまり、水の中にいると考える事で、気の状態が水中モードになり、その結果、筋や皮ふ等が四方八方から圧力や抵抗を受けている状態に変化するわけです。この長所は実際に水の中で練習するのと違い、抵抗や圧力の具合を任意に変えられるということです。短所はあたかも自分が水の中にいるようにリアルなイメージを持つというのは、なかなか難しい事です。しかし、そうした訓練を続ける事は、大きなメリットがあります。瞑想や座禅のようなメンタルな面での訓練を積むことが出来る上に、それを具体的な身体運用の技術として活用できることです。
このように、太極拳では、意をもって心を動かし、心が気を動かす、という流れを利用しています。そして、
気が身体の中で意識的に動かされる時、力となります。この力が身体を動かします。
このような過程で生まれた力が太極拳における「力」です。こうした力がいわゆる「勁力」と呼ばれるものです。それに対して、訓練を受けていない人が、力任せに出す力を「拙力」といって区別しています。
意・心・気・力・体 というのは太極拳が身体を動かす時の操作の段取りを示したものです。
意思の力や気合といった事は、無茶な根性論になりがちです。太極拳や幾つかの中国武術では、技術としての意識や心の使い方があり、それは特筆すべき事です。「気」はそうした技術の中で、精神的な要素と具体的な身体や発揮される力を結びつける仲介役をしています。
目には見えないが機能としては存在するのが気です。また、見ることが出来なくても感じることが出来るのが
気です。そして、誰の身体に中にもあるのが気です。ちょっとした努力と縁があれば、世界は広がります。
例えば手を上に挙げる動作1つ取っても、太極拳では非常に細かい教えがあります。手首に紐がついていて上から引っ張られる、とか。親指はこのように、足は膝を持ち上げるように、等など・・・。身体の動き全般にしても、「水の中にいて、水の抵抗を感じながら動くように」「手足身体に紐がついていて、自分の力でなく、上の方の人に操られるように」などなど。
身体を動かすことについて、今まで使っていた日常生活の動きをそのまま使わせないのが太極拳です。
そこでまったく新しい動きのシステムを創るために、太極拳の型を通して今までとは違う身体の動きを学ぶわけです。その過程で幾つもの教えが出てきます。それらをきちっと目的意識を持って行なう事が意念ともいえます。また、ある種のイメージを持って~例えば水の中で太極拳を行っているなど~行なうというのも、意念です。
では、なぜそんな事をするのでしょうか。武術が形作られる過程で、様々な体の使い方・訓練の仕方が、幾つもの試行錯誤や実戦を通じて発見されてきました。太極拳では身体をリラックスさせて、「気」を運用することで打撃の威力や移動の速度を上げる、という方法が採られました。~太極拳でいう「気」は身体の内部に生じる力の流れと考えてください。~しかし、「気」を動かす、といっても簡単に思うように出来るものではありません。
そこで、あのゆっくりと動く型が生まれてきたのです。気を動かすためには身体をリラックスさせる必要があります。無形の気ではあっても、それを動かすには、それなりの身体の状態がよりどころになるのです。身体は気の入る容器であり、気の通る通路の役目を果たします。それに相応しいからだの状態が求められます。
身体の状態が整っても、直接気を動かすのは大変です。しかし、心と気は密接に結びついています。
心・気持ち・情動といったものです。心が動くと気は動きます。嬉しいことがあれば、身体は軽やかになり気が全身にみなぎり元気良く巡ります。反対に嫌なこと恐ろしい事があれば、気は滞り病気にすらなります。恐怖に足がすくんで動けないのは、負の感情が足の気を虚の状態にした為に力が出せないからです。
最近では笑いが免疫力を高めるといわれており、心・情動と健康との繋がりも具体的に示されてきました。
このように心が動けば気が動きます。では、心はどう動かせばいいのでしょうか? 太極拳では、心を動かすのは「意・意念」であるといわれています。自分が水の中で動いているように、と本気で思いつつ練習をすると、水の中にいるような気持ちになり、身体がそのように反応してきます。つまり、水の中にいると考える事で、気の状態が水中モードになり、その結果、筋や皮ふ等が四方八方から圧力や抵抗を受けている状態に変化するわけです。この長所は実際に水の中で練習するのと違い、抵抗や圧力の具合を任意に変えられるということです。短所はあたかも自分が水の中にいるようにリアルなイメージを持つというのは、なかなか難しい事です。しかし、そうした訓練を続ける事は、大きなメリットがあります。瞑想や座禅のようなメンタルな面での訓練を積むことが出来る上に、それを具体的な身体運用の技術として活用できることです。
このように、太極拳では、意をもって心を動かし、心が気を動かす、という流れを利用しています。そして、
気が身体の中で意識的に動かされる時、力となります。この力が身体を動かします。
このような過程で生まれた力が太極拳における「力」です。こうした力がいわゆる「勁力」と呼ばれるものです。それに対して、訓練を受けていない人が、力任せに出す力を「拙力」といって区別しています。
意・心・気・力・体 というのは太極拳が身体を動かす時の操作の段取りを示したものです。
意思の力や気合といった事は、無茶な根性論になりがちです。太極拳や幾つかの中国武術では、技術としての意識や心の使い方があり、それは特筆すべき事です。「気」はそうした技術の中で、精神的な要素と具体的な身体や発揮される力を結びつける仲介役をしています。
目には見えないが機能としては存在するのが気です。また、見ることが出来なくても感じることが出来るのが
気です。そして、誰の身体に中にもあるのが気です。ちょっとした努力と縁があれば、世界は広がります。
Posted by 渡辺克敬(わたなべ かつゆき) at 23:50│Comments(0)
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